設立趣意書

近世京都学会 設立趣意書

 本年3月11日に起こった大地震と大津波、未曾有の原発事故は日本列島に二重三重の壊滅的打撃を与え、被災地のみならず日本中が深刻な不安におおわれています。 福島原発から漏出しつづける放射性物質は今後何十年もの間、苦悩と恐怖の元凶となり、近代技術文明に対する懐疑と不信の念をこの列島の住民のみならず人類全体に深めさせるでしょう。 これまで世界大戦のたびごとに、文明のあり方が問われてきましたが、この東日本大震災ほど近代文明を享受してきた列島の住民を告発するものはありません。 この大震災は、明治維新以来近代日本の光でもあり影でもあった東京への一極集中に対する警鐘かもしれません。

 昨年、京都では近世京都が育んだ同世代の三人の学者・文人を顕彰する行事が期せずして、連続的に行われました。 京都国立博物館・日本近世文学会主催『特別展観・没後200年記念 上田秋成』(於京都国立博物館、7月17日~8月29日)、 有斐斎弘道館主催企画展「花洛の鴻儒 皆川淇園の文人画」(於有斐斎弘道館、10月30日~11月13日)、 同館主催講演会「江戸時代の書画会と淇園」(於京都府公館レセプションホール、10月31日)、 小野蘭山没後二百年記念事業会主催「小野蘭山顕彰碑」除幕式(於京都府立植物園、11月27日)です。

 大坂生まれの上田秋成(1734~1809)は小説・俳諧・和歌・国学など多分野にわたって独自の優れた文学・学問世界を構築しました。 晩年は京都に移住して煎茶をたしなみ、呉春・池大雅・与謝蕪村・円山応挙などとの交友が知られております。 小野蘭山(1729~1810)は貝原益軒、稲生若水、松岡恕庵の本草学的伝統のなかから日本自然誌を創始し、近代博物学への橋渡しをしました。 本草塾衆芳軒での教育研究は四十六年に及び、門弟は全国にわたって千人に達しました。 鴻儒皆川淇園(1735~1807)は易学にもとづく開物学を唱え、独自の言語哲学を打ち立てるとともに、古典教育に傾注して門弟三千人と謳われました。 また、応挙、蕪村、長沢蘆雪と親しく交わり書画会をプロデュースし、みずから詩文・文人画にしなやかな境地を開きました。

 これら三人が活躍した安永~寛政期にかぎらず、近世京都は一貫して日本の学術・文化・教育の中心でした。 工芸や技芸、宗教はいうまでもありません。分野を超えた濃密な人的ネットワークを醸成する魅力的な都市空間が、恵まれた風土のなかで持続したからでしょう。 近現代の京都はそうした近世的魅力をうかがわせる景観や空間を次々と失ってきました。

 京都御所の西隣に位置する淇園塾弘道館の跡地も、狂乱の世界的バブルの崩壊を受けて、マンション建設の餌食になろうとしていましたが、 菓子司老松が保存のために勇を鼓して、邸宅と庭園を買い上げました。一昨年のことです。 この大英断に心打たれた者たちが新たに有斐斎弘道館と名づけられたその場に集い、淇園とその時代を学ぶサロン「淇園連舎」を幾たびか開きました。 そこから前述の企画展、講演会が生まれました。本年になるとこのサロンで、広く近世京都を学際的に研究する組織を、という声がおのずから出ました。

 このたびの大震災は現代日本が享受してきた近代文明の総点検を命じています。 地球的視点に立つとき、近代文明を総合的に問う有効な方法の一つは近代文明の世界化に先立つ各地域の近世文明に立ち返って、 地域の個性のなかに新たなる普遍を追求することでしょう。 日本の場合、近世京都はそのような地域的個性を学術的に解明する上で極めて重要な対象と言えます。 分野横断的な総合学としての近世京都学を提唱し実践する学術的組織として、近世京都学会の設立を呼びかける次第です。

   平成23年(2011)4月28日

          発起人
               上杉和央 (歴史地理学)
               榎本祐嗣 (技術史、地震史)
               遠藤正治 (本草博物学史)
               小川後楽 (日中茶文化史、近世思想史)
               沖田行司 (日本教育史)
               岸 文和 (芸術学、視覚文化論)
               ロバート・キャンベル (近世文学、明治文学)
               齋藤希史 (中国古典文学、東アジア言語論)
               鈴木一義 (日本科学技術史)
               高橋博巳 (近世文人研究)
               辻本雅史 (日本教育史、思想史)
               冨田良雄 (日本天文学史)
               富永茂樹 (知識社会学)
               中嶋節子 (日本建築史、都市史)
               永益英敏 (植物分類学)
               濱崎加奈子(伝統文化論)
               浜田 秀 (言語思想史、文体論)
               原田博二 (長崎学)
               廣瀬千紗子(日本近世文学、日本芸能史)
               本間洋一 (日本漢文学、和漢比較文学)
               松田 清 (洋学史)
               本康宏史 (地域史、技術文化史)
               横田冬彦 (日本近世史)
               横谷賢一郎(近世日本絵画史)
               芳井敬郎 (日本文化史、民俗学)
               李長波  (中日比較文法史)
               冷泉為人 (日本美術史)

                                (敬称略 五十音順)

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